大正4年創業、脈々と継承される職人の心

代表取締役社長 藤井 千枝子

頼れる老舗の女将、または人情味あふれる下町のおっ母さん。
生まれも育ちも築地下町なら、気っ風の良さも江戸前です。

江戸っ子はシャイ、とは申したものです。
威勢が良いのも江戸っ子に違いないけれど、一寸見の人とはなかなか打ち解けられないほどの恥ずかしがりやな面もあるのが下町育ち。初めから開けっ広げに何でも話してくれないもどかしさがあり、これはなかなか仲良くできないぞ、と思うような距離を感じるかもしれません。でも、良く言えば、それは慎ましやかなだけなのです。恥ずかしいからなかなか打ち解けられないだけのこと。

元来江戸っ子というのは、気っ風の良さがウリのとてもお茶目な人たち。ほら、有名な一節にもあるじゃないですか。
「江戸っ子だってねぇ」「おう! 神田の生まれよ!」
飲みねぇ、喰いねぇ、と後に続くこの話。人が好すぎるにも程があると思うかもしれませんが、その「人の好さ」が江戸っ子の江戸っ子たる所以。
大正4年創業の私たち藤井商店も、その江戸っ子(東京っ子)のはしくれです。初代に至っては、日本橋に魚河岸があった頃の人ですから、「生まれはどこでぃ」「おう!日本橋よ!」と、大げさでなくこんな感じでした。

最初は取っ付きにくい人たちだと思われるかもしれません。でもそこは、築地下町に育った私たちです。顔馴染みにでもなってくれば、生来の人の好さが顔を出してあれもこれもしたくなり、道具の手入れの仕方など、親身になってお話させていただきますよ。たまには、「これも持っておいき!」ってオマケがついてくる日もあるかもしれません(笑)。

また、その人の好さに付け加えて、世話好きなところがあるのも江戸っ子気質。
だから、なにかと忙しい現代人の、あの「ちゃちゃっと手間無く、チンしておしまい。ハイ、ドーゾ!」な食事が、どうしても味気なく思えて仕方が無いのです。
時間がない、忙しい、だから手早くできればいいんだと思われるかもしれませんが、まぁ、ちょっと聞いてください。

昔はどの家庭でも、せいろで蒸して、馬毛の裏ごしで漉して、瀬戸物の当たり鉢ですり潰して、手でこねて…と、文字通り手造りのものを食べていました。
せいろは、鍋に浸した水を沸騰させた蒸気で食材に熱を通すので、時間をかけて熱された食材には充分にその旨味が凝縮されます。馬毛の裏ごしで漉したものは、木べらで食材を少しずつ押し潰すようにして漉すので口当たりが柔らかく、当たり鉢ですり潰したものには、機械では出せない滑らかさがあります。
どの品をとっても、ひとくち食べれば不思議と心がほっこりと暖まります。
いずれも、職人が精魂込めて作り上げた調理道具があってこその手造り料理です。

機械も良いでしょう、レトルトも良いでしょう、ですがそこには職人の心は受け継がれません。私たちが扱う調理道具には、そのどれをとっても、職人が手がけた心が今もまだ脈々と受け継がれています。
是非、その心を受けて、「手造り」の食事を、そして健康的な食事をしていただけたら…。
世話好き、いえいえ、お節介な江戸っ子からの、現代人への切なる願いです。

モノのはなし

長く使い込むほどに馴染む品

弁当男子やらキャラ弁など、今や一大センセーションを巻き起こしている「弁当」という、ある種地味だけれどハマると奥が深いこの料理に欠かせないのが、やはり玉子焼である。
どうせ作るなら美味しいものを、そしてできれば他人をうーんと唸らせるほどに上達したい、と思うのが人情。

さて、やるとなれば、まず揃えなければならないのが鍋だ。そして、見た目も味も美味しい玉子焼を作るために最適なのは、当店おすすめの「銅製玉子焼鍋」である。

銅という金属は熱伝導が非常に良いので食材の火の通りが良い上に、まんべんなく焦げ目がつく。見た目にも食欲をそそる、あの黄色い生地にきつね色の焦げ目が美しい玉子焼を作るには、まさに最適な道具なのだ。

道具は使い込むほどに「手に馴染む」。それは一朝一夕にはいかない作業だ。暇さえあれば握ってみる。作る動作をしてみる。実際に何度も作ってみる。そうすることによって、「手に馴染む」、「身体の一部のようになる」のだ。なにもプロの料理人だけが到達できる境地ではないのである。

そして、永く永く使って銅メッキがはがれたり、柄の具合が悪くなった時にはリペア、「修繕」だ。藤井商店の道具だからこそ、その「修繕」ができる。
職人の手によって再び元のような、まさに新品同様の姿を取り戻し目の前に現れた時には、あなたはきっと惚れ直すことだろう。そして今まで以上に道具への愛着が湧いてくるに違いない。

道具は、使って使って使い抜くことが大切。
そうすることで道具自体は深みを増し、使い手はより良い料理を作ることができる。
だからこそ、出来上がった玉子焼は、味も形も格段に上達していくのだ。これは、いつでも同じ形、同じ味の出来合いのものでは味わえないことであり、それこそが生きて暮らしてゆくということ、人生そのものであると言えるだろう。

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世代を超えて受け継がれる想い。

たとえば鰹節削箱。
どっしりとした木製の箱に小さな取っ手がついた引き出しがあり、上面にはちょうど鉋を表裏逆に取付けたような、一見すると何でも無いような箱である。昔々は、それこそどの家庭にもひとつはあったはずの、懐かしさ溢れる愛すべき箱。私の幼い頃の思い出には、この箱がある。
祖母に言いつけられて、まだ日が昇る前の薄暗い台所の板の間に正座し、「カッカッカッ」と軽快な音を奏でながらかいたものだ。一日の始まりには、必ずこの音があった。

現在では、使いやすいサイズに削り揃えられた鰹節が、小袋にパックされて店頭に並んでいる。朝早くから起きて、わざわざあの堅い鰹節を削る必要はない。
だが、いくらきっちりと封をして節の香りが逃げないよう袋に詰められていても、削りたてのあの香りには遠く及ばない。

丸々一本の鰹を何工程も繰り返し、手間隙をかけて作り上げるのが鰹節だ。鰹節の種類によっては、一本をつくるまでに半年を要するものもある。それだけ時間をかけてつくられた鰹節には、まさに旨味が凝縮されている。だからこそ美味しいのだ。まさに日本の味と言っても過言ではない。

その美味しさを、まるっと引き出せるのが「鰹節削箱」というわけだ。もちろん食材としての美味しさもあるが、それだけではない。愛情を込めて、家族に美味しいご飯を食べさせてあげたいという、「母」の味も加わる。その味は、機械削りには到底出せない味だ。

荒く削ればだしに。細かいのは、おひたしや冷や奴の上に。削りたてだからこそ、鰹節の旨味をさらに際立たせることができる。

一家にひとつあった鰹節削箱。母から娘へ、その娘が母になり、さらにその娘へと、代々台所を預かる女たちの想いとともに、この鰹節削箱は受け継がれていく。

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エコにも通じる?!修繕の心得。

安価なプラスチック製品から果ては機械まで、実に様々なおろし器が存在する。わさびなどの薬味用から大量につくりたい場合の品まで、用途に分ければその種類はさらに増す。その中から自分が必要とするものを探すと、結局は「おろせれば何でもいい」に行き着いてしまうかもしれない。

だが、考えてみてほしい。秋刀魚の塩焼きに大根おろしが添えられていない食卓を。玉子焼のあの黄色に添えられる白がない食卓を。大根おろしは主役ではないが、主役を引き立たせる名脇役なのだ。その名脇役が疎かであったら主役さえもコケてしまう。それほどに大事な役を担っている。
だとすると、その大根おろしをおろす器具ももちろん大事になってくるとは思わないだろうか?

おろし金(当り金)に最も適しているのは銅である。金属の中では柔らかく加工しやすいため、細かな細工も可能だからだ。特に、互い違いになっているあの「目」。食材を均一におろすことが出来る細工はまさに先人の知恵である。一つ一つ手で起こした刃は鋭く、食材を上下させるだけで、実に無駄がなく簡単におろすことができる。

握りやすい柄、どっしりした底辺、おろす際に食材から出た水分がこぼれてしまわないための工夫は左右の溝に見られる。それが、昔から今も形を変えずに伝えられている「銅製おろし金」だ。
形が変わらず、現在にまで継がれているというのは、結局は使い勝手が良く、手早くおろせるからなのだ。

さらに、プラスチック製のおろし器には勝てない理由が、この銅製おろし金にはある。何年も使っていると、だんだんと「目」が倒れてしまう。プラスチック製であれば摩耗して丸くなるか、割れて使い物にならなくなる。ところが、この銅製おろし金であれば、当店にお持ち頂ければ、職人の手によって「目立(めたて)」が施され、再び刃に鋭さが蘇る。古いものを捨て、新しいものを買う必要がなくなるのだ。つまり一つ買えば、捨てることなくずっと使えるというわけだ。

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